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 帰りにゲームセンターに寄ってやってきました。

 今日の戦績

 一回目:二位 決勝戦で四人中三人が「アニメ・ゲーム」を選んでいて苦笑い。スポーツを選んだ方が哀れでした。結果としてホビット組(下から二番目)に昇格。

 今日は時間帯のせいか、混んでいたのでコンテニューなし。次の人に譲ってしまいました。二位になれたので気分よく凱旋です(笑)。
 また今度行きたいです。
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 平和の鐘、永遠の女王 (いわなぎ一葉/富士見ファンタジア文庫)


 なんだかなぁ……。「女王」三部作完結です。
 やっぱり一巻で止めておいたほうが良かった気がしますね(汗)。今回も二巻同様で悪くはないけどそこまで良くもない感じ。
 あえて言うなら軍事・政治話の比率が重くてちょっと退屈な印象も。あと(女王と恋敵のパターン)もいいかげん飽きてきました(汗)。ああ、それと大事なことがありました。(クレアの性格が全然変わってない気がするのですが。クリムはどこ行ったのですか?(悲))これが一番気になったところでしたね。
 ご都合なところもあるけれどハッピーエンドでめでたしめでたし。結果的に一巻で終わらせておいて良かった、ということで。できればこの作家さんの別のファンタジーが読みたいけれど……出るのかなぁ?(汗)

 5/31(水)読了
 評価:★★★☆☆



 真実の扉、黎明の女王 (いわなぎ一葉/富士見ファンタジア文庫)


 かなりびみょー……。これだったら無理に続けず、一巻ですっぱり終わらせたほうが良かったのではないでしょうかね(汗)。
 で、どこらへんが微妙かといいますと面倒なので箇条書きにします。いちおう前回と比べて、ということにしますね。

・キャラの書き込みが(カルロ以外)ちょっと足りない
・カルロとクレアの関係の発展の描写がいまいち足りない(前回のカルロとクリムも同様ですが)
・後半のご都合っぽい展開(カルロが乗り込むところ)
・ストーリー全般(設定含む)がカルロの心理以外、前回の焼き直しっぽい印象
・そもそも前回がきれいに終わっているのに(転生ネタ)で続けたのはマイナスな感じ(話としてはまとまっています。でも(クレアがクリムの魂を持っている、だけど一体化して万事解決)の部分が個人的に激しく微妙)
・感動すべき場面でノリきれない……
・クレアが好きになれないorz

 という感じですね。決して悪くはないけれど、こまごまとマイナスな点があるので「びみょー」なのです(汗)。
 作者さん自身が言っているようにキャラたち(カルロとクリム)が幸せになれるようなハッピーエンドを用意したかったのですね。そのもくろみはかろうじて成功していて僕も嫌いではないのですが、別に前回のあの終わり方でも充分OKだと思いますよ。
 まあ次回の三巻が「女王」三部作の最終巻らしいので読んでみます。シリーズとしての評価はそのあとで。

 5/30(火)読了
 評価:★★★☆☆+



 電子書籍サイト「ちょく読み」

 ついに来たか……。
 携帯にて月々300円~で小説が読めるようです。レーベルは「富士見F」「富士ミス」「電撃」「スニーカー」「ファミ通」など有名どころばかり。
 絶好調という文句は無視しまして、それなりの需要はありそうですね。このままいくといつか書籍の媒体は「紙」から「ネット」に変わってしまうのでしょうか? 僕は断然、紙派なのでこういうのは正直嬉しくないのですね。もちろん否定はしませんけど、やっぱり本の手触りとか、重みとか、匂いとかそういったものから離れていくのには寂しさを感じます。
 いま現在はまだ紙がメインの媒体ですが、数年後、数十年後の未来はどうなっているのでしょうね……。「本」というものが廃れていないことを祈るばかりです。



 とあるサイト様でみかけた「物語消費」という言葉が気になって調べてみました。どうやら大塚英志さんの唱えられた理論(?)らしいですね。
 どういう意味なのか、僕なりの拙い解釈でラノベを例に説明しますと、

『あるラノベ作品があり、シリーズ数冊で終了した。読者が知りえるのはその数冊から得られた情報だけだが、作品世界そのものは本当はもっと広大で、その大きな「物語」の一部分、小さな「物語」(=数冊の本)しか読者は知ることができない。つまり元来あるべき世界の断片だけを消費している。このことを「物語消費」と呼ぶ』

 ということなのでしょう。いや、正しいかどうかは分かりませんが(汗)。
 でもこの解釈で合っている場合、僕はけっこう前からこの理論に気づいてましたよ(爆弾発言)。明確な理論としてまとめる技術はありませんけれど、漠然とそれっぽいことは考えていました。前に記事にしたように思い入れのある作品が終わってしまうと数時間の間ぼけーっとしちゃうのですよ。その時間に考えてしまうのが、

「小説の内容は彼らの生きる世界から切り抜いた一場面に過ぎないのではないか。小説としては終わってしまったけれど、彼ら自身の物語はこれからも続いていくのだろう。また彼らの生きる世界のどこかでは別の物語が始まっているかもしれない。もしそうなら隠された(表現されていない)物語も読んでみたい。ぜひ知りたい」

 という感じです。傍目から見ればかなり危ない人ですね(苦笑)。そんな感じで無意識のうちに(というより放心しているうちに)大層な理論と似通ったことを考えていたみたいですねー。なんか変な気分です(笑)。
 まあなんだかんだで批評的なことを言ってみても最終的には楽しめればいいと思うので、あまり深く考えずに読んでいこうと思います(苦笑)。
 以上、週明けの戯言でした(笑)。


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