ラノベやアニメ、映画、TCGなど。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 電車の乗り換えで降りようとすると遠くから女性と男性の叫び声が聞こえました。駅員さんが男性を羽交い絞めにして三人で去っていきました。たぶん、一時の気の迷いでやってしまったのでしょう……。 人生を棒に振るようなことをしてはいけないな、と思いました。 PR とある事情で積ん読中のライトノベル冊数を数えてみました。 途中まで読んでいて現在も続刊が出ているシリーズ、一冊も読んでいなくて今も続いているシリーズ、最終巻が出て終了したシリーズ(もしくは途中でも続きが出ないと思われるシリーズ)、一冊完結の単発作品。 以上をひっくるめた合計冊数は―― 約230冊(爆死) ふぅ……、減らないわけですねぇ(苦笑)。まあちょくちょく読んでいきます(笑)。 電子書籍サイト「ちょく読み」 ついに来たか……。 携帯にて月々300円~で小説が読めるようです。レーベルは「富士見F」「富士ミス」「電撃」「スニーカー」「ファミ通」など有名どころばかり。 絶好調という文句は無視しまして、それなりの需要はありそうですね。このままいくといつか書籍の媒体は「紙」から「ネット」に変わってしまうのでしょうか? 僕は断然、紙派なのでこういうのは正直嬉しくないのですね。もちろん否定はしませんけど、やっぱり本の手触りとか、重みとか、匂いとかそういったものから離れていくのには寂しさを感じます。 いま現在はまだ紙がメインの媒体ですが、数年後、数十年後の未来はどうなっているのでしょうね……。「本」というものが廃れていないことを祈るばかりです。 とあるサイト様でみかけた「物語消費」という言葉が気になって調べてみました。どうやら大塚英志さんの唱えられた理論(?)らしいですね。 どういう意味なのか、僕なりの拙い解釈でラノベを例に説明しますと、 『あるラノベ作品があり、シリーズ数冊で終了した。読者が知りえるのはその数冊から得られた情報だけだが、作品世界そのものは本当はもっと広大で、その大きな「物語」の一部分、小さな「物語」(=数冊の本)しか読者は知ることができない。つまり元来あるべき世界の断片だけを消費している。このことを「物語消費」と呼ぶ』 ということなのでしょう。いや、正しいかどうかは分かりませんが(汗)。 でもこの解釈で合っている場合、僕はけっこう前からこの理論に気づいてましたよ(爆弾発言)。明確な理論としてまとめる技術はありませんけれど、漠然とそれっぽいことは考えていました。前に記事にしたように思い入れのある作品が終わってしまうと数時間の間ぼけーっとしちゃうのですよ。その時間に考えてしまうのが、 「小説の内容は彼らの生きる世界から切り抜いた一場面に過ぎないのではないか。小説としては終わってしまったけれど、彼ら自身の物語はこれからも続いていくのだろう。また彼らの生きる世界のどこかでは別の物語が始まっているかもしれない。もしそうなら隠された(表現されていない)物語も読んでみたい。ぜひ知りたい」 という感じです。傍目から見ればかなり危ない人ですね(苦笑)。そんな感じで無意識のうちに(というより放心しているうちに)大層な理論と似通ったことを考えていたみたいですねー。なんか変な気分です(笑)。 まあなんだかんだで批評的なことを言ってみても最終的には楽しめればいいと思うので、あまり深く考えずに読んでいこうと思います(苦笑)。 以上、週明けの戯言でした(笑)。 ロッカールームで着替えていたときのことです。 部屋のすみっこで二人の男性が親しげに話をしているのです。年齢はたぶん三十歳前後というところでしょう。会社の同僚、といった感じです。まあ同僚と一緒にジムに通うくらいは普通かと思っていたのですが、雰囲気がどこか怪しいのですよ。 一人はスポーツ刈りで筋肉質な体型、いかにもアウトドア派な人。一方はどこかしらとぼけた顔つきのインドアっぽい男性です。 で、そのアウトドアなほうが相手に話しかけているのですが、話している距離がやけに近いのですよ。三十センチもない近距離でごにょごにょっと喋っているのですよ。 (いや、BLは守備範囲外っ!) 心のなかで叫びましたよ、はい。 そのあと二人はブリーフ一枚で仲良く去っていきました。 こういった場面はその道のお姐さま方にとって「萌え萌え」なのでしょうか。 幸か不幸か僕には分かりませんでした。まあ、分からなくていいのでしょうね(苦笑)。そんな感じの土曜日でした。 |
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