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 ふと思うことがあって「自分が楽しいと思うこと」をするのは悪いことなのかどうかずっと考えていた。
 このとき問題になるのは「楽しいと思うこと」の度合いというか、程度だろう。それをすることでどれだけ楽しいと思えるか(満たされるか)、そしてそれと引き換えに失うもの(副作用的なもの)があるかどうか。
 たぶんこの喪失の範囲と内容によって善いか悪いか、すべきかせざるべきかが決まるのではないかと思う。

 僕はずっと考えていた結果たどりついたのは、僕がある一定ライン以下の身分、立場、体裁に身を置くことを嫌う意識があるということで、この基準線が高ければ高いほどプライドが高いということだ。
 僕が考えていたあることは趣味として見ればなくはないけれど、あまり世間一般的に誉められたものとは言いがたくてどちらかというと偏見を持って見られそうなものだ(オタク趣味は広義的であるし自我に自由が利くのでここでは保留)。
 しかもそれにハマることがもしあればきっと自分の自分らしいと思っていた肖像から離れることは目に見えていて、世間的に見ても自省的に見ても明らかに「堕ち」た姿になると思う。怠惰で非生産的で世界から落伍した存在になるのではないかと簡単に推測できる。

 ここでたぶん骨子となるのは善悪やすべきせざるべきではなくて、そうなった自分を許せるかどうかなのだと思う。
 楽しければそれでいい――これは極論であるけれど一面では真理をついていると思う。まったくその通りで楽しければそれでいい。一度きりの人生なら楽しまなきゃそんそん♪
 でもそこで自分を許せる人間はおそらく少数で、ほとんどの人はこころのどこかで自尊心や矜持を捨てきれなくて踏みとどまる。そうでなければ受験だとか就活などでこんなに死に物狂いになったりしないはずだ。
 これはやっぱりみんな等しく、ある一定ライン以下の自分になりたくない、許せないからではないだろうか(経済的な理由があるケースとかは除いて)。
 僕は最初、そういうのもアウトローな感じではぐれ狼みたいなのもいいんじゃないか、許せるだろうと思っていたけれど、やっぱりこころのどこかでそれを許せない自分がいる。

 たぶん楽しいはずだ。
 めちゃくちゃ楽しいはずだ。
 だけどそれ以上に自分の根底を築いていた尊厳とか、アイデンティティとかいったものが崩れてしまうのかもしれない。二度と取り返せないものを失ってしまうのかもしれない。
 そう思うと怖くて尻込みしてしまう。自分の一片さえ誇れなくなった自分は想像するだに恐ろしく、そして許せない。
 尻込みしてしまう程度なら、それはきっと踏み出さなくて良いのではないかな、と僕は結論づける。
 僕のなかにあるプライドがそれを押しとどめるのなら、それは自分の性がよこした良くも悪くも従うべき託宣なのかもしれない。


 追記:受験、就活うんぬんはちょっと思慮が足りなかったかも。単純に向上志向があれば上を目指すものだもの。そうでなくても流されてそうなることもあるし僕の考えは一面的でしかないっぽい。
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