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 あるサイトでものすごいノロケ四コマを読んでものすごく胸が苦しくなった。
 漫画はとても面白くて、仲のいいカップル(夫婦)であったのだけれどもそれは同時に僕に結婚という概念をゆるやかに意識させるものだった。

 結婚。
 たしか前にも学生時代の恋愛云々は先がどうとか云々でこれからは自由に恋愛しちゃえ云々と吐き出したはずだが、最近はまたそれとはべつの理由で結婚に対して否定的な感情が募ってきている。
 それは具体的に口にするのも憚られるくらい禁忌なこと、字にするのも嫌だから書かないけどおそらく人間として最低なことをしたくなる衝動が僕のなかに生まれるのだ。
 ときおり、年に数回もない衝動ではあるけれどなにかきっかけさえあればそういった行動を起こしてしまいそうな自分が僕は大嫌いだ。
 これがもしも感情のないただの動物であったなら僕は衝動のままにしていただろう。
 でも人は考え、感じて過去を積み上げる生きものだからそういうことは禁忌であり、ぜったいにやってはいけないことなのだと思う。

 前に母に言われたことがある。
「あんたはいざという切羽詰まったときに切り捨てられる人間だ」
 どうやら祖母にも同じ気があったらしいがすでに亡くなっているので確認は取れない。
 しかし、少なくとも僕はその言葉を否定することができなかった。
 仮定として僕が一人っ子で親戚がおらず、万が一両親が認知症などになったら僕は平然と老人養護施設に放り込むことができるだろう。
 ごくまれにわきおこる黒い衝動もその一部だろうし、冷酷さ(というよりは無感情になれる部分)があるのは否定しようがない。

 僕はこういう非人間的なところが自分のなかに存在していることが怖ろしい。
 もしかしたら人間だれしもそういう部分が多かれ少なかれあるのかもしれない。分からない。
 ただ僕は事実として分かっている自分の黒い部分が(こう書くとひどく中二病的だが)存在してしまっていることは諦めて受け入れるとして、それを後世に残していいものかとても悩む。
 そこで記事タイトルの結婚が出てくる。
 結婚すれば子どもができる流れになるのは自然だ。
 ただ僕は本当に子どもを作っていいのか、疑問だ。
 自意識過剰だと笑われても構わない。
 僕にとってこれは何度も自決を考えてしまうほど重大な問題だった。

 僕はそれほど自分が嫌いというわけではない。
 しかし先にも書いたように自分のなかに芽生えるひどく黒い衝動があって、そういうものがたまに芽生えてしまう自分が嫌だった。
 そういう遺伝子を残したら(僕がそうであったように)子どもが親である僕を恨むのではないか、と無用かもしれない心配をしてしまう。
 一方で小難しく考える必要はないと楽観視する自分もいる。
 現に祖母は僕と同じ気質を備えながらとくに問題もなく人生を全うしてみせたし、仮に子どにもそういう形質が受け継がれたとしてそれに耐え切れなかったときは単純に社会(この場合は人間社会)から淘汰されるだけの話でもある。
 劣っている遺伝子は排除される、ただそれだけのことと考えれば僕なんかがウダウダ考える必要なんて皆無で、すべては生まれた子どもが僕や祖母がそうしたように自らの判断で自分の人生を決めればいいだけなのかもしれない。
 その結果がどうなろうと、それはそうなるしかないことなのかもしれない(運命、という言葉はあまり使いたくないがけっきょくそういうことで)。

 で、けっきょく結婚ひいては子育てとか(まずは就職しろよって話だけど)そういうのに対してどういうスタンスで生きるか、答えを自分で選ばないといけない。
 そこで思ったのは、この選択は子どもとかその子どもと関わるであろう人々とか、そういう人のためではなくけっきょくは自分のための選択なのだろうな、ということだった。
 たとえば僕が恐怖に負けて結婚せず、子どももいない独り身で人生七十年あまりを過ごすとしたら、きっとそれはとても寂しい。そして退屈だ。
 僕が結婚するか、子ども作るかなんて決断を下す時点でまだ生まれてもいない子どもの気持ちを考えるだなんてナンセンスに思えたのだ。
 生まれてくる子どもはもしかしたら伴侶の性質を強く受け継いで屈託のない子に育つかもしれないし、あるいは僕寄りの遺伝子を継いでも僕以上に強い精神を持ち合わせているかもしれない。
 ようするに、そのときにならないとまったく分からないということで考えるだけ無駄なのだろうな、と思いはじめたわけだ。

 僕の遺伝子に劣った部分があるとか後世に残す価値のある血なのかとか、そういう悲観的で意味もなく俯瞰的な視点はもっともっとあとの人が客観的に見て決めることなのかもしれない(あるいは個人が評価する必要などないことなのかもしれない)。
 僕は僕の人生を精一杯生きて、できるだけ豊かなものにして、もし子どもができたら子どもは子どもで自分の人生を自分なりに考えて進ませればいいだけなのかもしれない。
 子どもが持って生まれる性質なんて多分に運に左右されるものだから、それを僕が傲慢にもあーだこーだ頭を抱える必要などなく、子ども自身に自分と向き合わせればいいだけのことなのかもしれない。

 そんな感じでぐるぐる考えた結果の結論はけっきょく“よく分からない”ということだった。
 子どもが僕に似た性格に悩むかもしれないけど、そのときはそのときなのだろうし、そういった負の可能性を排除しようと生涯を一人で過ごすのもアリなのだろう。
 とどのつまりは神のみぞ知るということで、人間風情が心配することではないのだろう。
 起こるかどうかも分からず、しかも備えることすらできないことをくよくよ悩むのはまず間違いなく愚かしいことだと思う。
 だから僕は僕の人生に全力で立ち向かい、やりたいことを一つでも多く成し遂げていけばそれでいいのだ、きっと。
 そう考えると好きになった人と結ばれて家庭を築く結婚もけっして悪いものではないな、と少しだけ思えるような気がする。


 追記:父にさりげなく結婚は(ひいては子育ても)いいものかどうか訊ねてみた。すると父は僕とはべつの理由から生まれてくるであろう子どもに対して責任感を感じていたらしく、少しでもその不安(可能性)を排除できるように母を伴侶に選んだという。そして結婚や子育てはいいものだと答えてくれた。またその父に対して当時の祖母が結婚はいいものだと言ったらしい。
 それと負の可能性を恐れてなにもしないよりは行動して失敗したほうがいいと言った。失敗はかならず肥やしになるから、けっして無駄ではないからやらないよりやったほうがマシなのだと言った。似たようなことを考える僕はやはり父の子で、そしてその父や祖母も結婚はいいものだと言って実践してきたのだから僕にとっても当てはまるのかもしれない。
 案外、人生なんて難しく考える必要のないものかもしれないと思った。肯定的に、前向きに、踏み出さなければチャンスも生まれないから失敗を恐れず歩いて、終点を目指してずいずい進んでいくべきなのかもしれない。
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