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 百合とは一体何なのか。
 女の子同士が好き合うというのはどういう意味なのか。
 かしまし小説版にあてられた僕の心に浮かんだことを稚拙ながらも書き連ねたいと思います。興味のない方は飛ばしてください。不快に思われても責任を取りかねますので(汗)。

 まず、かしまし小説版は厳密にいうと百合ではないと思います。理由は簡単。三角関係にある三人が三人とも、その恋の発端は異性に対して抱いたものだからです。
 はずむが女性になる前から、すでに三人の恋心は芽生えていたと思います。はずむは「昔から隣にいた心強い女の子」と「女の子然とした、正に女の子らしい女の子」に、とまりは「昔から隣にいた護るべき男の子」に、やす菜は「初めて見えた(気にかけた)男の子」に、です。ちなみにはずむが女性になってから好きという気持ちを明確に知覚する、というのは、はずむが女性になったからではなく、男性でなくなったがために初めてその違和感(胸のうちの恋心)に気付いたのです。これは一般的に、失くして初めて大切さに気付く、という類のものだと思われます(はずむととまりの関係はむしろ家族愛の感覚に近いものだと思います。近くにいるのに疎遠になることが耐えられないだけです。仮に引越しなどの正当な理由があれば二人は心残りながらも離れることになったでしょう)。

 では、このかしまし小説版はどんな作品といえるのか。僕はこう考えます。「百合」という悲恋の形式を用いた恋物語、と。「百合」という言葉の性質への言及の前に、この恋物語の仕組みを説明しましょう。
 この物語は三人の純愛を描いているわけですがテーマとしては「悲恋」が話の核になっていると思われます。実らない恋、それは読む人の情に訴え同情を得ることができます。
 では、どのようにすれば悲恋の物語になるか。簡単です。当事者たちではどうしようもできない、抗いようのない力、壁、障害物をもって恋路を塞げばいいのです。
 では、もっとも効力の強い「壁」とはなにか。簡単です。同性――つまり性別なわけです。障害物として挙げるのならば「身分」「立場」「プライド」「時間」などなどたくさん考えられますが、もっとも高い壁は性別です。それは逆説的に考えてみれば一目瞭然です。恋し、愛し合った二人がもっとも幸せになれるときはいつか。おそらくそれは物理的に繋がりあえたときだと僕は思います。つまり性交渉ですね。
 ではなぜ性交渉が愛し合った二人の至福のときなのか。理由はこうです。僕たち人間は肉体を持った生き物として生まれてきました。生物が本能的に行おうとすることは「生きること」と「子孫を残すこと」でしょう。そうした本能による行為は優先されるべき事柄であり、また同時にそれをこなした時に得られる見返りもその重要性を示しています(生きることはともかく、子孫を残す行為は肉体的な快感を得ますね。あれは種を滅ぼさないためのシステムなのでしょう)。そうしますと生き物がもっとも幸せを感じられるのはもっとも本能的で優先度の高い行いをしているときになるわけです。この場合、肉体的な見返りだけではなく、種を残すという本能に従った行為を実行しているという精神的充足感も性交渉が一番に思えます。
 上の理論を仮に正しいとしたとき、そこに「身分」や「立場」といった壁がいかほどの障害物になりえるでしょうか。お互いが異性であるというだけで、いつか最高の幸せを得られるかもしれないのです。そこで「同性」という壁です。この壁があると、どれだけ多くの幸せを手に入れようとも最後の最高の幸せを手に入れることが絶対にできません。微塵の可能性すら存在しません。そういうことです。
 つまり完全に、簡潔に「悲恋」を演出したければ「同性」という壁を設ければよい、ということなのです。かしましは一番分かりやすくも一番困難な壁を持った「百合」の形式に当てはめて純愛を表現したお話ということですね。

 では肝心の「百合」についてですが、その性質は「悲恋」だと思います。理由は上述した内容がほとんどです。至上の幸せを手に入れることができないという宿命から、どれだけ時間をかけても、どれだけ努力を積み重ねても完全に恋が実ることは決してないのです。究極的には絶対に叶うことのない恋に身を賭していく女性たち。その姿に憐憫や憧れといった気持ちを抱くのでしょう。

 さて、こんな感じで「百合」についてはお仕舞いです(ほとんどかしましを例に説明しましたが)。百合の性質が悲観的なのは上に述べたとおりですが、それでも知能の発達した人間ならではのプラトニックな関係など、彼女らはそれなりの幸せを見つけていきます。その幸せの大きさは絶対的に本能のものより小さいですが、そこらへんは当事者たちの考え方しだいです。それを本当に心の底から無上の幸せだと感じられるのなら、彼女らはたしかに――幸せなのでしょう。
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